2015.04.15「私の脳幹論」理事会声明

2015412

戸塚宏氏ほか『私の脳幹論』に関する理事会声明

 

日本児童青年精神医学会 理事長 松本英夫

 

「精神医学」20152月号(精神医学 Vol. 57 147-152, 2015)に、戸塚宏氏ほか『私の脳幹論』が掲載された。「精神医学」編集室によると、これは第27回日本総合病院精神学会総会における特別講演の再録であり、講演は会長かつ座長であった朝田隆氏の質問に戸塚氏が答えるという形で進められている。

日本児童青年精神医学会は、1993年に、いわゆる戸塚ヨットスクール事件に対する名古屋地裁判決を批判して、「戸塚ヨットスクール事件の概要と判決についての見解」(児童青年精神医学とその近接領域 Vol. 34, Nov.1 119-125, 1993)を発表した。その後、1997年に名古屋高裁は一審判決を破棄し、戸塚氏に対して実刑判決を下した。上告も棄却され、戸塚氏は収監されて20064月に出所している。しかし、出所後も戸塚氏は「脳幹論」を根拠に戸塚ヨットスクールを続けており、新聞報道によれば同スクールでは2006109に事故死または自殺とみられる死亡者が出た(20061106日付朝日新聞)ことを皮切りに、20091016日に飛び降りによる死亡事件(20091019日付共同通信)20111220日に飛び降りによる重傷事件(20111220日付日本経済新聞、20111221日付中日新聞)、201219日に飛び降りによる死亡事件(201219日付日本経済新聞、2012110日付中日新聞)が発生している。

現在でも「脳幹論」を根拠に行われる戸塚氏のトレーニングは、単に非科学的であるにとどまらず重大な人権侵害であり、子どもの最大の利益を追求する立場である当学会としては、戸塚氏の「脳幹論」を学術誌が無批判にとりあげることに対して警鐘を鳴らさざるを得ない。

 

1.    「精神医学」に掲載された講演録『私の脳幹論』の概要

 

戸塚氏は、彼のいう「ヨーロッパ型理性論」の下で子どもたちがどんどんダメになっていくという現状認識を示し、続いて源氏物語、万葉集、仏教の「空」、儒教の「道心」や「中庸」を例に出して、「本能論」・「脳幹論」を展開する。まず、「脳の構造が、脳幹部・辺縁系・新皮質と三段だから、やっぱり精神も3つに分かれますね」と述べた上で、「脳幹部で処理された情報が辺縁系へ来て、そこでまた細かく処理される」ことが「本能」であるという。そして「本能論」とは「理性の目標を本能と一にする」ことであり、「本能と目的を違(たが)えてつくった理性は悪」であると述べるのである。

さらに戸塚氏は、「恐怖の使い方が進歩するか落ちこぼれるかの境目」だと言い、「恐怖の目的」を逃避と安定に分類する。そして、「恐怖を安定に持っていくトレーニングをする」ことで、子どもに「進歩の能力」が身につくのだと述べる。「人にとって一番大きい恐怖というのは、生きるか死ぬかの時に発生する恐怖であるから、そのときに「生きよう」とする、そういう能力をつけてやればいい」というのである。

その他にも、戸塚氏は、「発達障害と言われる人たちは、トレーニングで治る」と断言している。加えて、幻覚がある場合、トレーニングをすれば統合失調症の場合は悪くなっていくから、それで判断でき、そのときに初めて、精神病として扱えばいいとも述べている。

 

2.    いわゆる戸塚ヨットスクール事件に対する日本児童青年精神医学会子どもの人権と法に関する委員会の立場

 

日本児童青年精神医学会子どもの人権と法に関する委員会は、いわゆる戸塚ヨットスクール事件に対する名古屋地裁判決を、主に以下の4点について批判した。

第1に、目的の正当性については、戸塚氏らのいう「情緒障害児など」が不登校を指すのであれば、それを一律に「治療、矯正の対象」とすることは誤りであり、非行を指すのであれば、生活背景を無視し個人の責任として「矯正」しようとすることは人権を無視した社会防衛にほかならないこと、精神疾患を意味するのであれば、戸塚ヨットスクールの行為は治療を受ける権利の侵害であることなどを指摘した。

第2に、手段の正当性については、本人の意思に反する拘束・監禁は、当時の精神保健法に基づく入院と児童福祉法に基づく緊急一時保護以外には認められないことを指摘した。

第3に、法医学的な論証については、傷害致死・監禁致死事件についての判決は、「暴行・監禁と死亡との間には因果関係がある」としながら、「虚弱な体質」や「年齢、性格、精神状態、判断の誤り」と言った恣意的な要因を持ち込むことによって、戸塚ヨットスクール側に有利な量刑へ結びつけていることを指摘した。

第4に、懲戒権に関する判断については、「懲戒権については、親権者がこれを第三者に委託することも許されないことではない」といった拡大解釈は、懲戒権の乱用すなわち虐待であると指摘した。

 

3.    「精神医学」誌の「私の脳幹論」への見解

 

戸塚氏が、戸塚ヨットスクール事件に至る理論的背景であった「脳幹論」を当時と変わらずに主張し、それがいまだに死傷者を出現させているにもかかわらず、恐怖を与えることの正当性を主張していることを、精神医学に携わる者は無批判のままに放置しておくべきではない。

「脳幹論」(「本能論」)自体が何ら医学的根拠を持つものではないにもかかわらず、医学雑誌である「精神医学」に無批判に「私の脳幹論」が掲載されたことは極めて問題であり、朝田氏を含む「精神医学」編集委員を批判せざるを得ない。(たとえば、朝田氏は「戸塚先生のお考えは〔中略〕認知行動療法との共通点を感じるところもございます」と述べているが、認知行動療法は人権に配慮した倫理的視点も含めた科学的手法によりその有効性が検証されている治療であり、戸塚氏の「脳幹論」との一致点は科学的視点を持つなら見いだせないはずであるにもかかわらず、それを「精神医学」誌が無批判に掲載していることについては批判せざるを得ない。)

前章に引用した通り戸塚氏は、発達障害はトレーニングで治ると述べ、幻聴等の精神病症状がある場合でもトレーニングをまず行い、悪化した時は統合失調症なので、そのときに初めて精神病として扱えばいいと述べている。これは換言するなら、病気や障害を有する者が不適切な対応をされることにより悪化した場合に、初めて適切な治療や支援を受けるべきであるという考えであり、重大な人権侵害である。人権に配慮すべき朝田氏がこれに何の疑問も示すこともなく、「意志を強くするトレーニングの方法は、中国の古典に書いてあるということですが、どのようなところがポイントになるのでしょうか。」とむしろ支持しているかのような対話を無批判に続けていることについても批判せざるを得ない。

戸塚氏は、医療を提供する立場ではないが、「脳幹論」(「本能論」)に示される戸塚氏の考え方が、朝田氏が期待するように「これからの皆様の臨床の中で活かされることがあれば」、それは私たち精神医学の臨床現場への重大な破壊行為であり、司会者の講師に対する礼儀として看過することのできない発言である。

戸塚宏氏は、「脳幹論」を掲げ続け、以前の戸塚ヨットスクール事件と同様の「トレーニング」を繰り返し、死傷者を出現させている。戸塚氏の講演録を無批判のまま医学雑誌に掲載することは、子どもの最大の利益に反するものであり、精神医療に携わる者にとって許されるものではない。