2019年11月10日
体罰の禁止に向けて懲戒権の廃止と体罰禁止法(仮称)の制定を求める声明
一般社団法人日本児童青年精神医学会 代表理事 松本英夫
同 子どもの人権と法に関する委員会 委員長 高岡 健
1 はじめに
2016年に、戸塚ヨットスクールに関する特集番組が、テレビ放映された。番組を視聴した会員より、そこには4歳の子どもが海に投げ込まれたり3歳の子どもが頬を張られるなど明らかな虐待行為が映っており、憂慮すべき事態であるため学会として対応してほしいという要請があった。会員の要請を受け、理事会は、この件に関する検討を子どもの人権と法に関する委員会に附託した。委員会は、2016年11月23日に、戸塚ヨットスクールの個別的問題に限定せず、体罰が子どもの発達に及ぼす影響について広く調査・検討する方針を決定した。
2 体罰をめぐる国内外の動向
我が国は、学校教育法で体罰を禁止してきた。しかし、2012年に部活動中の体罰を背景とした高校生の自殺事案などが発生したため、文部科学省は、その翌年に「体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について」(通知)により、注意を喚起した。
一方、国連子どもの権利委員会は、日本に対し体罰禁止を再三にわたり要請しており、2019年3月5日には「日本の第4回・第5回政府報告書に関する総括所見」を発表し、以下の通り深刻な懸念を表明した。すなわち、「(a)学校における体罰の禁止は、効果的に実施されていない。(b)家庭及び代替的監護環境における体罰は、法律によって完全に禁止されていない。(c)民法及び児童虐待防止法は、特に、適切なしつけの行使を許容し、体罰の許容性を明確にしていない。」(外務省仮訳)というのである。(「体罰の許容性を明確にしていない」とは、体罰が許容される可能性に関して不明確なままであるというほどの意味である。)さらに、緊急の措置がとられなければいけない分野として体罰をあげ、法律による家庭及び家庭外における軽いものも含めて、体罰の全面的禁止を要請している1、2)。
このような中で、近年頻発する、児童虐待による死亡事例の報道とも相まって、2019年6月19日、児童虐待の防止等に関する法律及び児童福祉法が改正され、親権者や里親らは児童のしつけに際し体罰を加えてはならないと明記された。なお、民法の懲戒権に関しては、改正法施行後2年をめどに、その在り方を検討することが附則に加えられた。このような経緯に沿って、法務省法制審議会民法(親子法制)部会において、懲戒権に関する規程の見直しの検討が開始され、また、厚生労働省「体罰等によらない子育ての推進に関する検討会」において、体罰の範囲及び体罰に関する考え方を示したガイドラインの作成や保護者に対する支援策の周知などについて、検討が開始された。
ちなみに、2019年11月10日現在、58カ国が体罰を法的に禁止している3)。
3 体罰の定義
平成19年(2007年)度文部科学省通知「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について:別紙」は、学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方として、「教員等が児童生徒に対して行った懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要がある。」とした上で、「その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。」と定義している。また、2012年通知「体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について」も、この考え方を踏襲している。しかし、これらの定義は当然ながら学校におけるそれにとどまり、しかも「総合的」「事案ごと」といった文言に示されるように曖昧と言わざるをえない。
一方、国連子どもの権利委員会の一般的意見8号(2006年)は、体罰を「有形力が用いられ、かつ、どんなに軽いものであっても何らかの苦痛または不快感を引き起こすことを意図した罰」と定義している。そして、次のように説明を加えている。「ほとんどの場合、これは手または道具(鞭、棒、ベルト、靴、木さじ等)で子どもを叩くという形で行なわれる。しかし、たとえば、蹴ること、子どもを揺さぶったり放り投げたりすること、引っかくこと、つねること、かむこと、髪を引っ張ったり耳を打ったりすること、子どもを不快な姿勢のままでいさせること、薬物等で倦怠感をもよおさせること、やけどさせること、または強制的に口に物を入れること(たとえば子どもの口を石鹸で洗ったり、辛い香辛料を飲み込むよう強制したりすること)をともなう場合もありうる。」なお、同委員会の見解によると、体罰 はどんな場合にも品位を傷つけるものである4)。以上の定義は簡潔であり説明は具体的であることから、本学会声明では、国連子どもの権利委員会のそれに準拠して、体罰を定義することとする。
4 体罰の影響について
体罰の影響について検討したメタ解析は、尻たたき程度の体罰であっても、即座の追従、低い道徳性の内在化、攻撃性、反社会的行為、親子関係の質の悪化、うつ病、アルコール依存、自殺、成人になった際における子どもや配偶者への虐待、身体的虐待の被害者になることなどの有害な転帰が認められるとしている5~8)。これらのメタ解析と同様の結果は、比較的体罰が容認されている国々で行われた研究でも認められている9~12)。
なお、意図した以上の痛みを与えないような控えめな尻たたき、すなわち、一般的に親が行う体罰は、他のしつけよりも悪いわけではないという研究結果13)があり、尻たたき程度の体罰を全面的に禁止すべきではない14)との反論もある。このような反論に対しては、尻たたき程度の体罰が他のしつけより有害ではないという理由だけで体罰の全面的禁止に反対すべきではなく、有効であるという根拠を示すことが出来るまでは体罰をすすめるべきではない15)との再反論がなされている。
加えて、学校における体罰に関してのメタ解析16)では、学力の低下、低い自己効力感、共感的行動の減少、敵意、悲観主義、うつ病への罹患といった、有害な転帰が認められている。
以上のとおり、多くの研究は体罰は有害であると結論づけており、軽い体罰は他のしつけに比較して必ずしも有害ではないとする少数の研究にしても、他のしつけ以上に明らかに有効としているわけではない。言い換えるなら、体罰に関する研究は、体罰の有害性を証明する一方で、その有効性を証明することには失敗しているのである。
5 懲戒権の廃止と体罰禁止法(仮称)の必要性
平成24年4月1日施行の「民法等の一部を改正する法律」において、民法第820条は、「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」から「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」へと改正され、「子の利益のため」という文言が明記された。しかしながら、民法第822条においては依然、「親権を行うものは、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。」とされ、懲戒権が認められている。つまり、親権者は子の非行に対する教育のために、子の身体・精神に苦痛を加えるような懲罰手段をとることができると解釈される余地を残している。そのため、懲戒権を根拠に体罰を行い得るかのような誤解が生じている。このような誤解を払拭するためにも、民法から懲戒権をなくすことが、喫緊の課題であることがわかる。
ところで、本声明の冒頭で言及した戸塚ヨットスクールの場合を含め、現行法においてでさえ許されるはずもない体罰が、学校でも家庭でもない場所で行われているという、看過できない事実がある。体罰が行われる場所へ我が子を預けることが不要になるような、親や教師に対する支援が不可欠であることはいうまでもないが、同時に「体罰禁止法(仮称)」といった立法により、あらゆる場所における体罰を禁止する方途が追求されるべきである。
6 まとめ
(1)多くのメタ解析は、体罰のもたらす有害な転帰を報告している。また、親権は、「子の利益」のための親の責務と解されるべきであり、懲戒権を根拠に体罰を行うための権利であってはならない。以上より、われわれは、民法における懲戒権の廃止を求める。
(2)学校や家庭以外でも、現行法においてでさえ許されるはずもない体罰が後をたたない。かかる子どもにとっての不利益と権利侵害をなくすために、われわれはあらゆる場所での体罰を禁止するための立法を求める。
参考文献
1)https://tbinternet.ohchr.org/_layouts/15/treatybodyexternal/Download.aspx?symbolno=CRC%2fC%2fJPN%2fCO%2f4-5&Lang=en
2) https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000464155.pdf
3)https://endcorporalpunishment.org/
4)http://endcorporalpunishment.org/wp-content/uploads/key-docs/CRC-general-comment-8.pdf
5) Ferguson, C. J. (2013): Spanking, corporal punishment and negative long-term outcomes: A meta-analytic review of longitudinal studies. Clinical Psychology Review, 33, 196 –208.
6) Gershoff, E. T. (2002): Corporal punishment by parents and associated child behaviors and experiences: A meta-analytic and theoretical review. Psychological Bulletin, 128, 539-579.
7) Gershoff, E. T. & Grogan-Kaylor, A. (2016): Spanking and Child Outcomes: Old Controversies and New Meta-Analyses. Journal of Family Psychology, 30, 453-496.
8) Paolucci, E. O. & Violato, C. (2004): A meta-analysis of the published research on the affective, cognitive, and behavioral effects of corporal punishment. The Journal of Psychology, 138, 197–221.
9) Liu, L.. & Wang, M. (2018): Parental harsh discipline and adolescent problem behavior in China: Perceived normativeness as a moderator. Child Abuse & Neglect, 86, 1-9.
10) Ma, J., Han, Y., Grogan-Kaylor, A., Delva, J., Castillo, M. (2012): Corporal punishment and youth externalizing behavior in Santiago, Chile. Child Abuse & Neglect, 36, 481-490.
11) Okuzono, S., Fujiwara, T., Kato, T., Kawachi, I. (2017): Spanking and subsequent behavioral problems in toddlers: A propensity score matched, prospective study in Japan. Child Abuse & Neglect, 69, 62-71.
12) Watakakosol, R., Suttiwan, P., Qongcharee, H., Kish, A., Newcombe, P.A. (2019): Parent discipline in Thailand: Corporal punishment use and associations with myths and psychological outcomes. Child Abuse & Neglect, 88, 298-306.
13) Larzelere, R. E. & Kuhn, B. R. (2005): Comparing child outcomes of physical punishment and alternative disciplinary tactics: A meta-analysis. Clinical Child and Family Psychology Review, 8, 1–37.
14) Baumrid, D., Larzelere, R., Cowan, P.A. (2002): Ordinary physical punishment: Is it Harmful? Comment on Gersoff (2002). Psychological Bulletin, 128, 580-589.
15) Gershoff, E. T. (2002): Corporal punishment, physical abuse, and the burden of proof: Reply to Baumrid, Larxelere, and Cowan (2002), Holden (2002), and Parke (2002). Psychological Bulletin, 128, 602-611.
16) Gershoff, E.T (2017): School corporal punishment in global perspective: prevalence, outcomes, and efforts at intervention. Psychology, Health & Medicine, 22, 224-239.